牧師あいさつ
横山基生牧師・好江伝道師
私は2014年4月に赴任して、十代目の主任担任教師として志木教会の責任を担っています。私の父義孝は、志木教会の3代目の牧師の久田昌明師と親交があり、志木教会の伝道集会の講師として良く来ていました。私自身も青年時代、東京聖書学校の学生時代を通じて様々な交流がありました。主なる神が不思議な導きで、私と妻好江伝道師を志木教会に赴任すべく、ことを進められたのでした。それ以来、私は園長として、好江教師は副園長として附属泉幼稚園に本格的に係わりつつ、牧師・伝道師として志木教会の活動を信徒たちと共に進めていく恵みに与っています。
私達は、長く英国に住みつつ欧州における在外邦人に聖書のメッセージを届ける働きに係わってきました。この働きとの関連で、日本中を旅したり、海外の様々な国々における日本語教会等を巡る恵みを得ました。様々な文化の異なる国々にあっても、キリストの教会があり、その現地の教会の人々との交わりの中に日本語教会の活動もなされ、多くの日本人が福音の豊かさに触れるのを見聞きしてきました。聖書のみ言葉の中に、いのちがあり、人々の魂に安らぎと励まし、希望と喜びを与えることの出来る力があります。現在、私達は宣教師という立場から、一つの教会の責任を担う牧師・伝道師ですが、今までの経験を生かしつつ、世界的な視野を持ちつつ、地域の方々に仕える教会を、主の力によって建て上げていきたいと願っています。
私の好きな聖書の言葉は、「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」(第1ヨハネの手紙4章9節)です。ひとりひとりが生きるようになることを、主なる神は願っています。神の愛は、ひとりでも多くのものが、生きる喜びを得ることができるために注がれています。私自身も、ひとりひとりが、主なる神の御前で活き活きと生きる者となれるように、係わりたいと願っています。
志木教会 主任担任教師 横山基生
志木教会の歴史
志木教会の創立記念日は、1945(昭和20)年7月18日になります。教会の記録によりますと、東京から牧師を招いての定期的な集会が1922(大正11)年から信徒の家でなされてきていました。、この時から約20年間を経て、聖書を通して語られる力ある言葉が人々を捕らえ励まし、聖書の神を信じる群が志木市に育ってきたのでした。その中心的な活動をしてきた小原十三司牧師が、1942(昭和17)年6月にキリスト教信仰が治安維持法に反するとして獄中に入れられるという事件が起きても、その信徒の群は散り散りになってしまうことなく、志木市での集まりは継続されました。その篤き信仰は、空襲によって焼け野原となる街が増え続ける中にあっても萎むこと無く、その群を正式な教会の設立へと導いたのでした。ここに試練をも乗り越えることの出来る信仰の力を見ることができます。この時代の信徒達を支えたであろう聖書の言葉に下記のようなものがあります。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」聖書:第1コリント書10章13節
日本基督教団志木伝道所は、民家を借りて活動がなされ、牧師家族もそこに住んでいました。志木教会の歩みは志木教会附属幼稚園である泉幼稚園のことを抜きにして語ることはできません。初代牧師小原妙子師の妹にあたる小原益子師(後に結婚して久田益子)による教育保育活動が1946年1月頃から、先に挙げた伝道所兼牧師館を利用して行われ始めたのでした。この活動が様々な地域の方々に受け入れられ、公的な認可を受ける幼稚園となるべく土地等を取得することができました。1952年には、現在の場所に新幼稚園舎が完成し、教会礼拝堂が建て上げられた1976年まで、その保育室等を利用して毎週の礼拝が続けられることになりました。幼稚園活動や福音宣教を通して多くの人々が、救いの良き音づけを聞くことができました。
志木市にある教会としてさらに地域に仕えるために、2007年にはより大きな礼拝堂を備えた現在の教会が建てられました。毎年行われるチャペル・コンサートは、地域の方々に好評で、毎回120名程度の方々が来られます。教会に加えて、2016年7月からは泉幼稚園の園舎を建て替える工事が始まり、2017年1月に新園舎が完成しました。